[NEWS] 博物月報URL変更のお知らせ
日頃、博物月報をご覧いただき、ありがとうございます。
博物月報は、サイトリニューアルにともない、2009年1月1日より、URLを変更いたしました。
今後とも、各地の博物的情報をサルベージしていく所存。なにとぞ、ごひいきの程、よろしくお願い申し上げます。
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★2008年11月22日(土)、ニフティ株式会社が運営するイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」(東京・お台場)で、博物月報初のトークイベント『ミュージアムめぐりナイト』を開催します。
★「博物月報」とそのレポーターたちが、博物館、美術館などのハコモノに限らず、日本各地のミュージアム的なスポットを(まじめなものからユニークなものまで)一挙紹介!
★人々をミュージアムに惹きつける、その魅力の源泉はなんなのか?——を、多彩なミュージアムを取り上げつつ、探っていこうという趣向です。

【主宰者より】
『ミュージアムめぐりナイト』、大勢のみなさまにお越しいただきました。ありがとうございました。心より感謝と御礼申し上げます。
ご来場のみなさまに、お楽しみいただけましたならば、主宰者としてこれほどよろこばしいことはありません。
これからもミュージアムの魅力について、さまざまな場でお伝えしていければと思っております。今後とも「博物月報」をよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました!
日本最北端の地、稚内へ来たら、ノシャップ岬にも足を運んでみよう。バス停から紅白のしまの灯台を目指し北へ歩みを進めれば、利尻富士を望む岬のかたわらに、稚内市青少年科学館がひっそりと建っている。
戦後の稚内は、南極観測隊の前進基地としての役割を果たしていた時期があり、南極でソリをひくカラフト犬を訓練していた。かつて話題になった映画『南極物語』は、1958(昭和33)年に悪天候のため南極に置き去りにされたこの犬たちの運命を描いたものだ。生還を遂げた兄弟犬タロとジロの話は周知のことだが、この科学館では、彼らの出生の秘密が赤裸々に公開されている。
展示室に入ってすぐ左側のショーケースには、南極探検に関する当時の道具や文献、観測船の模型などが並ぶ。と、何やら三匹の子犬の写真や木像も陳列されている。じっくり見れば、「タロ・ジロ・サブの三兄弟犬」と書かれている。彼らの下には弟がいたのだ!
すぐ隣の記事によれば、幼い頃から、結束の堅い三兄弟として注目されていたようだ。タロとジロの他に当時置き去りにされた犬たちの写真もある。各々の名前を確認するが、そこにサブの名はない。どうも彼は南極に行かなかったらしい。一緒に働いていた彼らの父親のクマも犠牲になっている。……なに、シロ?「タロの弟」だと? もう一匹、南極に渡っていた弟がいたのか!
呆然としてかたわらのジオラマに目を移せば、剥製となって犬ゾリをひいている犬の名が「シロ」である。彼の遺体ははるばる南極から運ばれ、死してなお、故郷の地で働き続けているのか?ジオラマの説明文には“タロ・ジロと共に稚内公園で訓練を受けたシロです”とだけ記してある。タロ・ジロはその後、剥製になって各地を巡回し、2頭が会えば“再開”ともてはやされた。だが、シロはその間、ここでひたすら犬ゾリを引き続けてきた。涙なくして、見てはおれない。
タロとジロはたくましく生き抜いて感動を与えてくれた。しかし彼らの栄光の影には、サブやシロのような弟たち、そして父親クマの存在があったことを忘れてはなるまい。さいはての科学館はそんな哀感を抱かせた。
稚内市青少年科学館
■住所 北海道稚内市ノシャップ2-2-6
■交通 JR宗谷本線稚内駅よりバス15分
愛知万博の跡地は公園になり、トトロの家も再オープンするそうだが、この「おたる水族館」は1958(昭和33)年に札幌と小樽を会場にして開かれた北海道博覧会のパビリオンがその起源になっている。博覧会後、その跡地に水族館として開館し、翌年施設を移転、さらに1974(昭和49)年に新築オープンしたから、当時の博覧会をしのぶものは何もないが、北海道の動物園・水族館のなかでは古株にあたる。
展示はエントランスのウミガメから始まり、ネズミイルカ、トビエイ、ピラルク、ニシン、ケガニといった北から南までのさまざまな魚介類が顔を出す。ウニやアワビなどを取り上げた「栽培漁業コーナー」、オホーツク海にいる巨大なひらめ・オヒョウやサケ・マスの類が回遊する「オホーツク海・ベーリング海水槽」など、北海道と海とのかかわりを感じさせるコーナーもある。
日本海を借景にして開放感あふれる造りになっている屋外ゾーンでは、イルカやペンギンのショー、ラッコ館、セイウチ館などが並ぶ。人気ナンバー1はイルカのショーなのだが、同館の気合いが入っているのはトドのダイビングショーだ。トドは岩によじ登って高い断崖から海に飛び込む習性があることで知られている。同館ではこの習性を利用して、高さ9mの台からプールに飛び込むダイビングショーを思いついた。なにせ、オスだと体重1トンにも達する巨躯なので、これがすさまじい水柱を立てて飛び込むのである。観客から歓声が上がるのはもちろん、別のコーナーにいた客が、轟いた水音に何事かとふりかえるほどだ。
ところで、さっきから脇でバチャバチャと水音が聞こえる。波の音ではない。びちびちと何かで水面を叩くような音だ。のぞき込むと、アザラシプールのアザラシがヒレで水面を叩いて、ひたすら何かをアピールしている。脇を見ると魚が数匹入ったバケツが置かれている。「ああ、そろそろ餌の時間なのか」と思ったら、バケツに「アザラシの餌 1パイ100円」の文字。なに、これ客がやるのか?バケツを持った家族連れが近づくと、どどどーっとプール中のアザラシが集まってくる。そして、びちびちとヒレで叩いて、餌の催促である。まるで公園の池のコイのような感じでアザラシを飼っているというのは、さすが北海道というべきであろうか。
別のプールに行くと、寒流の魚であるホッケやソイなどが泳ぎ、脇に「つりぼり 100円」の看板。「つった魚はプールにもどしてね!」の文字も見える。この水族館、博覧会出身のせいなのかどうか、なかなか商売上手と見た。
ふと、いい匂いが漂ってきた。札幌の大通公園のような焼きトウモロコシの匂いではない。これは焼き魚の匂いだ。屋外に2カ所ある食堂では、北海道らしく、ニシンの丸焼きが売られている。1尾700円。東京の感覚だと、定食セットならともかくサカナ丸ごと1匹どんと出されても困るだろうと思うのだが、これが飛ぶように売れているのだ。子どもがアイスクリームか何かを食べている脇で、お父さんとお母さんがひとり1尾ずつニシンを頼んで、おいしそうにパクついている。北海道は思った以上に魚食文化が強いらしい。
と、背後で大きな水音がした。またトドが飛び込んだようだ。脇ではアザラシが例のパフォーマンスで、相変わらず観光客にサカナをねだっている。餌のバケツをのぞいてみた。人間もアザラシも同じようなものを食べている——魚を媒介にして、観客と展示物にちょっとした一体感が漂う水族館だ。
おたる水族館
■住所 北海道小樽市祝津3-303
■交通 JR函館本線小樽駅よりバス25分
現在、交通博物館の「さようならキャンペーン」の目玉として、同博物館に隣接した旧万世橋駅の遺構が公開されている。
旧万世橋駅はかつての中央線ターミナル駅で、1912(明治45)年に開業。交通博物館は一時期、この駅構内に開設されていたこともあって、同博物館と軌を一にして歩んできた駅でもある。駅自体は、戦時中の1943(昭和18)年に廃止されたが、その遺構の一部が現在まで残っている。
見た感じはレンガ積みのガード下とか倉庫といった感じである。時々、轟音がひびいてくるのは上を中央線が走り抜けていくから。駅構内からホームへあがる階段部分も残されている。階段の上の方はフェンスで仕切られているので、ホームへ上がることはできないが、かつてホームだった場所をのぞき見ることはできる。そこは現在では、中洲のように線路にはさまれたスペースになっていた。
見学は所要15分程度。平日340人、土日祝日520人の定員制で、開館時間中の15〜20分毎に行っている(要予約)。遺構公開は閉館に先立つ2006年4月28日(金)まで。
夕方になると神田川に沿ったガード部分がライトアップされる(これも「さようならキャンペーン」の一環)。ライトアップされて初めて、このガードの部分も交通博物館だったのだと気が付かされる。もしかしたら、この中央線沿いにとてつもなく歴史的なガード下が、赤提灯とか駐車場になって、まだ残っているのかもしれない。
交通博物館に隣接
■住所 東京都千代田区神田須田町1-25
■交通 JR総武線秋葉原駅から徒歩5分
■見学 2006年4月28日まで公開中(要予約)。普段は非公開。
2006年5月14日に閉館する交通の総合博物館。現在、「さようならキャンペーン」を行っているので、土日ともなれば館内は押すな押すなの大混雑になる。一番の大賑わいは運転シミュレータで、東海道線と山手線があり、どちらも長蛇の列。次いでの人気は鉄道模型のジオラマで、これまた人だかりの黒山。混んでいる最大の原因は、コーナーまわりにフジツボのように貼り付いて離れない子どもたちか…と思ったが、子どもたちにまじって昔、子どもだった大フジツボがやはり一緒になって貼り付いている。とにかく関東近在の男子なら一度は訪れているスポットといっても過言ではないので、あらゆる世代に共感を呼び起こすのである。
模型やシミュレータのほかには、実物の車両や原寸大の再現展示に力が注がれているのがこの博物館の大きな魅力のひとつだ。機関車の脇にさりげなく置かれたベンチは、列車の座席の変遷を明治から現代までたどっていて、順番に座り心地を体感することができる。明治〜大正期の車両など、ちょっと座っていると尻が痛くなってくるような固い固い座椅子である。これで例えば神戸まで行くなんて到底無理と思われるが、これに辛抱強く耐えられるのだから、明治・大正生まれが頑丈なはずである。
かつて花形だった修学旅行専用電車の頭部も置かれている。座席も一部再現されており、ボックス席の真ん中には大きめの折り畳み机が据え付けられているところがいかにも修学旅行的だ。席をのぞきこんだら、疲れ果てたお父さんがぐったりとお休み中。その昔の、修学旅行の夢を見ているのであろうか。このほか、御料車、明治時代の客車などが展示されている。
さて、交通博物館というと、鉄道展示に耳目が集まるが、2階、3階にある自動車、船、航空機などのコーナーも意外と充実している。スバル、ダットサン、オート3輪の実物が鎮座し、ジャンボ機のファーストクラスの一部が再現されたコーナーもある。こちらもお父さんたちがぐったりとお休み中。耳をすますとBGMに「ジェットストリーム」が流れていて、城達也のナレーションが響く芸の細かさ。お父さんたち、出張の夢でも見てなければいいが。
この博物館のお題目は「交通」なので、リニアモーターカーの模型展示のあとにいきなり、三度笠や旅枕(携帯枕)が出てくるという意外性も秘めている。「人力の交通」と題した、動力化以前の旅のコーナーなのであった。ここへ来て「交通」の概念が急に広がりだし、最後は輦台(写真下)まで登場する。明治維新の際に徳川家の人が使用した物で、徳川氏の寄贈の品だそうな。
「交通博物館」は閉館後、2007年10月に埼玉の地で「鉄道博物館」としてオープンする。
現博物館の前身は、1921(大正10)年に鉄道開業50年を記念して東京駅そばに開館した「鉄道博物館」に始まり、のち現在地に移転して、戦後「交通博物館」に改称したというから、戦後60年を経てふたたび本来の屋号である「鉄道博物館」へと“復帰”することになるわけだが、“交通”から“鉄道”になっても、「交通」や「旅」のもたらす豊かな概念は引き継いで欲しいものだ。
交通博物館
■住所 東京都千代田区神田須田町1-25
■交通 JR総武線秋葉原駅から徒歩5分
「江戸東京博物館」の分館で、江戸というよりはむしろ明治からこっちの建築物をメインに移築している。
高橋是清邸、三井八郎右衛門邸など名士の家もあるが、銭湯や居酒屋、商店といった一般の「民家」が立ち並んでいる点がこの施設の特徴的なところ。『民家園』とはいっても大抵、富農のお屋敷だったりするのだが、ここでは神田から引き抜いてきた花屋や文具屋、台東区の居酒屋、足立区の銭湯などを見物できる。
入口から左手の西ゾーンは、昭和初期の写真館・常盤台写真場や大正時代に田園調布に建てられた全室洋間の郊外住宅・大川邸などを経て、世田谷、三鷹の農家へと続く「山の手エリア」。東ゾーンは前述の居酒屋や銭湯に加え、醤油店、仕立屋、荒物屋、和傘問屋など、戦前の“町”にあった職種を伺わせるような商店が点在する「下町エリア」へと続く。
敷地内には約25棟もの民家が点在しているので、まったりしていると、とかく時間切れになりやすい。モダン好きな人は西ゾーンから、下町好きな人は東ゾーンからまわろう。写真は「下町エリア」。移築ではあるが、こうやって並んでいると“昭和の路地”の雰囲気があふれている。
先日、久しぶりに訪れてみたら、家屋の敷居にまるで台車の出入り口のような板が渡してある。車椅子用にしてはちと急すぎる。何かと思えば、最近のバリアフリーに慣れすぎた方々(特に年輩の方)が、足元を見ずに直進しようとしてよくつまづくので、その予防のためなのだそうだ。嗚呼、明治は遠くなりにけり。
江戸東京たてもの園
■住所 東京都小金井市桜町3-7-1
■交通 JR中央線武蔵小金井駅からバス10分
オホーツク海に突き出した日本本土最北の地「宗谷岬」。岬というと断崖絶壁を連想してしまうが、ここ宗谷岬は丘陵地に遠浅の海岸線が広がり、むしろ開放感にあふれている。岬に立つ「日本最北端の地」碑は、北緯45度31分3秒の緯度にちなんで、高さ4m53cmとか。天気のいい日には、濃紺のオホーツク海の向こうにサハリンを望むことができる。
しかし、この風の強さは相当なものだ。立っていて何度もよろけそうになるほどの風が吹く。レンズを向けてもカメラがぶれる。岬周辺の年間平均風速は7.5m/sというが、とてもその程度とは思えない。
♪流氷とけて〜 春風吹いて〜、という芹洋子の「みんなの歌」があったが、そのイメージで訪れると、あたかも春一番の如き“春風”が横殴りで歓迎してくれることになろう。
ちょうど目の高さのあたりをカモメが横切っていった。カモメとしてはそれなりのスピードで飛んでいるつもりなのだろう。が、風が強いため、まるでスローモーションのようにゆっくりとしていて、翼の羽根の動きまで眺めることができる。
さて、振り返って丘側の方を眺める。牧草地が広がり、ところどころにササがなびいている。いかにも荒涼として「最北の地」のイメージなのだが、宗谷岬とて最初からこんな光景だったわけではない。そもそもはトドマツやエゾマツなどの針葉樹が茂る林だった。それが1911(明治44)年に山火事が起こって、林が焼失してしまったのだという。
もちろん、山火事ぐらいはどこにでもあることで、普通そのあと林が再生されるものだが、ここではこの強風がそのあとの植生を左右した。強風のため、植物の種子が定着しないのである。その結果、焼け残った地下茎から芽を出したササが、あっという間に岬周辺を覆い尽くしてしまった。北西から吹き付ける強風では、南側からの種子の散布が難しい。また、仮に飛んできたとしても、強風やそれにともなう乾燥のためにそうおいそれと定着はできない。
宗谷岬周辺の景観もこの強風のなせる技なのである。
宗谷岬
■住所 北海道稚内市宗谷岬
■交通 宗谷本線稚内駅よりバス45分
昭和30年代の路地裏の再現展示が有名な郷土資料館。なのだが、入口はどうみても“図書館”。実際、図書館に併設されている施設で「郷土資料館へ御用の方は2階へ」という案内に促されるように階段を昇っていくと、忽然と路地と商店街が現れる。
煙草屋、駄菓子屋など7つほどの店が再現されており、古びたホーロー引き看板がずらりと並ぶ。大八車の籠の中に放り込まれた新聞紙は1967年の中日新聞の原紙!居間の壁に貼ってあるカレンダーは1960年のホンモノ!と隠れた演出が効いていて飽きさせない。
親子連れの客もここではお父さんの方が楽しそう。資料館の脇には古いピアノなどが未整備の状態で置かれ、これからもまだまだ収蔵資料は増えていきそうな様子である。熱心な学芸員さんが一人で切り盛りしているそうだ。
師勝町歴史民俗資料館
■住所 愛知県西春日井郡師勝町大字熊之庄字御榊53
■交通 名鉄犬山線西春駅よりタクシー10分
古今東西の至宝から骨董品まで、およそありとあらゆるものがひしめいている上野公園界隈。その不忍池の南端に戦前の下町を彷彿とさせる木造家屋数棟が残る。ただし、屋内に。
一階は、かつてこの界隈で見られた長屋の展示が中心。通りに面した大店(おおだな)と狭い路地を入っていく裏店(うらだな)が再現。目を引くのは、長屋の一角で営まれている(という設定の)「駄菓子屋」。この長屋自体は、昭和というよりは大正時代をモデルにしているのだが、カラフルな菓子が山積みになった駄菓子屋の店先は、昭和30〜40年代の雰囲気を醸し出している。
二階に上がると、銭湯の番台や旅館の入口、カフェーの店内などが再現。いずれも入口付近や店内のカウンター付近など、一部だけの再現展示だが、銭湯では番台に上がることができ、旅館ではガラスの引き戸を開けるといかにもスリッパがずらりと並んでいそうなエントランスである。銭湯、カフェーはともかく、旅館はなぜかといえば、修学旅行や行商人など多くの人々が乗り降りする「上野」にはかつて旅館が多かったから——というわけで、こんなところも台東区らしい展示となっている。
二階は特別展示のスペースも兼ねており、特別展の際はこれらの展示がかたづけられて、パネルや品々が並ぶスペースが出現するなど、なかなか機能的な作り。
ところで、二階で目にとまるのが、階段を昇ってすぐのところにある「昔の遊び道具」のコーナーだ。コマや知恵の輪、ダルマ落とし、竹細工、ゴムをつかったパチンコなどの遊具が並び、来館者は必ずここで数分間滞留する。
聞けば、一階で昔の暮らしを知り、二階でその当時の遊びを知ってもらおうという狙いで設けたコーナーだそうだ。休日ともなると、おじいちゃん・おばあちゃんと孫とか、親子でにぎわっており、小規模な施設ながら、世代間のコミュニケーションを増すという効能がうまく発揮されているようだ。
台東区立下町風俗資料館
■住所 東京都台東区上野公園2-1
■交通 JR山手線上野駅(しのばず口)より徒歩5分
東伊豆の温泉地・熱川にあって南国ムードを盛り上げる「熱川バナナワニ園」。一般に、同園の名称はバナナとワニを主に展示しているから「バナナワニ園」なのだと思われているが、実はかつて、「バナナワニ」なるワニが実在する可能性があった。
同園には世界一の規模のワニが集められているが、かつて、「カーメル・メガネカイマン」というワニの珍種が導入された時、ワニの権威である研究者がこのワニを「バナナワニと命名してはどうか」と助言したことがあった。このワニは黄土色の体表に黒い縞模様が入った特殊な色をしており、地色は“バナナ色”といえなくもない。しかし、同園は「地色をもって、バナナワニと称するのはいささか誇大広告気味である」としてこれを辞退したというから、なかなか謙虚な経営姿勢である。
そのかわり(?)現在では、バナナとワニを組み合わせたような愛らしいぬいぐるみが「バナナワニ」として売店で売られている。[もっと読む]
熱川バナナワニ園
■住所 静岡県賀茂郡東伊豆町熱川温泉
■交通 伊豆急行伊豆熱川駅より徒歩3分
水車小屋や茅葺き農家など7棟が移築・復元された古民家園。民家園としての規模は決して大きくはないが、江戸初期〜中期の建物を復元した開拓ゾーン、江戸後期の建物の農家ゾーン、明治以降の近代ゾーンに分かれ、東京(江戸)の郊外にあるこの集落が、玉川上水の開削などを経て、いかに発展してきたかがわかるようになっている。
必見は近代ゾーンにある郵便局舎。日本に現存する郵便局舎の中でも最古級といわれ、1908(明治41)年に建てられた和風平屋建て。赤茶色の屋根、窓口は鉄格子風の金網、屋根の2箇所に〒のマークという出で立ち。小平市に今でも郵便ポストの古いタイプである「丸ポスト」が多いのは、このご威光なのかもしれない。[もっと読む]
小平ふるさと村
■住所 東京都小平市天神町2-57
■交通 西武新宿線小平駅より徒歩20分
冬が書き入れ時という珍しい(?)民家園が東京都府中市にある。
古民家や旧役場庁舎などの復元建築物のほかに、博物館やプラネタリウムが立ち並ぶ「府中市郷土の森博物館」がそれ。
もっとも、賑わう一番大きな理由は併設されている「梅園」で、2月中旬のシーズンには60種1100本の梅の木が多種多様な花を咲かせている。
商家や農家、旧役場庁舎などがある復元建築物のなかで、ひときわ目立っているのが木造2階建ての「旧府中尋常高等小学校」(写真)。1935(昭和10)年の築で、当時北多摩郡随一の規模を誇っていたという。
入口からして、靴を木製の下駄箱にしまって入館していくところがいい。教室は昔の机やイスがそのままに並び、跳び箱、薪ストーブなどもさりげなく展示されている。地元出身の詩人・村野四郎によって作詞された「巣立ちの歌」がどこからともなく、BGMとして聞こえてくる。
これからの卒業式のシーズンに、ちょっと昔の思い出にひたってみるのもいい。
府中市郷土の森博物館
■住所 東京都府中市南町6-32
■交通 京王線・JR南武線分倍河原駅より徒歩20分